- 私たちは、素材にこだわった削りぶし製造を通じ、お客様に美味しさと健康と安心を提供できる食文化の担い手として貢献します。
- 私たちは「削りぶし文化」「だし文化」の創造的伝承者となり、信実をもって社会と未来に貢献します。
- 私たちは、お互いに認め合い、助け合い、喜び合い、楽しみ合えるような働き甲斐のある職場環境づくりを目指します。
昭和47年7月、山崎義明がある理由で「削りぶし部門」を独立し「株式会社山一」を設立しました。
ある理由とは…今まで食したことの無い添加物や化学調味料まみれの食材を売りたくなかったから。
昭和元年に山崎島吉、キジュ夫妻が塩干・乾物商を創業、戦後小学生だった義明も商売を手伝いようになり、高校生の頃には配達はもちろん、仕入、帳簿をつけるほどに。昭和30年代になると、インスタントやレトルトといった簡単便利を謳った食品が店先に並び、注文が増えるにつれ疑問を抱き始めました。「体にとってよいものなのだろうか?」。
そんな時、レイチェル・カーソン著「沈黙の春~Silent Spring~」に出会います。食物を通じて体の中に入る怖さ、鳥のさえずりもない環境破壊された地球になっていくことに衝撃を受け、さまざまな書物を読み「大切なものは何か」を考えていきます。そして義明の結論は「自信と誇りをもって提供できるものは、長年日本人の食文化を支えてきた乾物しかない!」というものでした。そして尊敬する料理長からの「米がなくならない限りだし文化はなくならない、おまえが正しい製品を守りなさい!」という言葉が独立への後押しとなり、35歳の時父母の商売から「削りぶし部門」を独立、株式会社山一を設立しました。
「資金がない」「お客様がない」「信用がない」のないない尽くしでスタートした矢先、オイルショックで経営危機に…。なんとか踏ん張りながら、地元の飲食店、生協、学校給食、医療給食と事業を拡大していきました。
大きな商売が舞い込んできても「今の山一があるのはお客様のおかげ、原料不足で迷惑をかけるわけにはいかない」と断り、「品質を無視した安さが売りの商売はしない」「命をいただく商売価値ある商品でなければ…」そんな考えで商売していました。「もっと良いかつおぶしができないか」という思いで産地に走り、「もっと良い削り状ができないか」という考えで削り刃物を常に携帯し、削りぶしの品質への探究は寝る間も惜しんで続けられました。そんな義明も若いうちに患った糖尿病が悪化、とうとう66歳で全盲になり、当時33歳だった長女豊子に思いを託し後継させ、現在は厳しい経営環境の中で頑張る山一スタッフに情報提供しながら見守っています。
天然だしの普及で医療費削減に貢献し、次世代負担を減らしていきたい!
だしの伝承者を増やし、次世代の健康維持力を高めていきたい!
みなさん、こんにちは。
毎日、美味しい食卓を囲んでいらっしゃいますか?わが林家は、私が社長をしているため、なかなかきちんとした食事ができません。が、こんな私でも「おだし」があれば鬼に金棒、ホントに重宝しています。
私が小学1年生の頃、食卓から甘味が消えました。祖母が高血圧症と糖尿病に脳梗塞、父が糖尿病、母がリウマチを発症したことで両親が私たち子どもたちの健康を危惧して食生活を一変してくれました。それからというもの、とにかく「おだし」。うま味たっぷりで薄味の料理が食卓に並ぶと、具材の美味しさがわかるようになり、苦味も美味に変わりました。反面、具材のまずさもわかるようになりました。
そんな食生活を続けておりましたが、母は薬漬けの毎日で50歳で他界、父は仕事優先で糖尿病が悪化、60歳で緑内障を、63歳では脳梗塞を、66歳では網膜症を併発し全盲になったため、20代後半から父の看護と社長代行をしながら33歳で後継しました。
しかし後継の決断ができず、かなり悩み苦しみました。何ヶ月も仏壇の母と語り合ううちに「私の役割は、だし文化の伝承で健康維持に貢献すること」という使命感に辿りつき、社長になる決断ができました。そして結婚し出産、子育てから改めておだしの大切を、また年老いていく父母たちの介護から食のありがたみを教えてもらいました。
おだし教室を始めた時は、「顆粒だしで簡単に済ませる時代、天然だしに興味をもってくれるのか?」と不安を抱いておりましたが、徐々に口コミで広がり、今ではPTA主催の親子教室や取引先の勉強会、行政からの依頼も出てきました。1度だけでなく、姉妹、親類、友人、子を誘って何度も参加される方も増え、これからの天然だし伝承の輪が波紋のごとく広がっていくことにワクワクしています♪
高度成長から食生活が激変し、「飽食(お腹いっぱい)」の時代から「飽食(あきる、新商品探求)」になり、「倣食(本物を真似た偽物)」「呆食(あきれるメニュー)」「放食(食べない和食)」も多く見られ、すでに「崩食(食事ではない)」になっている日本の食生活。
たからこそ和食を無形文化遺産登録する「保食(保護する)」が必要だったのです。子どもたちが背負う10年後20年後の社会を夢ある未来にできるのは私たちです。
「おだし教室」で伝承者を増やし、「邦食(自国の食=和食)」の大切さを見直し、「抱食(愛で包む)」で「豊食(心身の豊かさ)」を感じてもらいたい。そして、次世代からの「褒食(美味しい、ありがとう)」は「報食(むくわれる)」の悦びになり、おふくろの味「宝食(たから)」が受け継がれていきます。医療に頼らない健康で心豊かな未来にしていきたいと願い頑張る山一です。
(山一が考える13の「ほうしょく」)
素晴らしい原料を製造し供給してくれる各産地の生産者の皆さんありがとう。先人たちから受け継がれてきた食文化にありがとう、先人たちの生きる知恵にありがとう。
株式会社 山一 代表取締役 林 豊子 感謝
- 社名
- 株式会社 山一
- 本社および工場所在地
(郵便物はこちらへお願いします) - 〒860-0047
熊本市西区春日7丁目27-49
TEL:(096)322-7788 FAX:(096)355-6093
- 店舗名
- 削りぶしのやまいち
- 販売責任者
- 林 尚樹
- 本店(直営店)所在地
- 〒860-0053
熊本市西区田崎2丁目2-6 エクセルタウン1F
TEL:(096)323-1700 FAX:(096)355-3427
※営業時間:月~金(土日は休業)午前10時~午後5時まで
- 創業
- 昭和元年、熊本市田崎にて(祖父母)
- 設立
- 昭和47年7月(削りぶし部門独立)
- 資本金
- 10,000,000円
- 事業内容と主要製品・商品
- 【各種削りぶし製造加工、販売】
かつお(荒節と枯節、一本釣りとまき網、枕崎産と国内産)
そうだかつお(めじか)…主に枕崎産
さば、あじ、うるめいわし、まむろ、むろあじ…主に熊本牛深産
≪削り状の種類≫
花かつお・厚削り・砕片削り・5mm削り・かつおパック・粉末など
【食材の販売】
だし昆布、いりこ、椎茸などのおだし素材、おぼろ昆布、 とろろ昆布、焼き海苔、青海苔、きざみのり、汐わかめ、 一味、七味、粉わさびなど
【店舗販売】
産地や製造元から仕入れた確かな食材にこだわって販売中
- 主な取引先
-
熊本および九州各県のうどん・そば専門店様
料亭や和食店様
生活協同組合様
食材卸問屋様
百貨店内小売店様
醤油味噌製造元様
学校及び医療給食様 など
- 加盟団体
-
全国削節工業協会
全国削節公正取引協議会
九州削節工業協会